八木和彦: 2010年11月アーカイブ

11:00前に東京駅発、14:00前にはJR花巻駅に着きました。

 

前回花巻に来たのは1993年でしたから、もう17年も前。

その頃とは変わって、花巻駅周辺が整理され、

すっかり今風になっているのを見て、

少しさびしく思いました。

 

まずは観光案内で地図をいただいてから

駅のすぐ近くにある「林風舎」へ...。

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「林風舎」は宮沢賢治さんの弟・清六さんのお孫さんである

宮澤和樹さんが経営する宮沢賢治グッズ販売店兼喫茶店。

外観も内部もすばらしい建物で、

創作のためのインスピレーションをたくさんもらえる場所です。

 

花巻駅周辺の新たに整備された一画にあるのですが、

モダンでもありなつかしくもあるデザインで、

この花巻の地が、宮沢賢治さんの目指した

真のイーハトーブ(ドリームランドとしての岩手県)となるための

新たな可能性がここにあるように思いました。

 

ちょうどこの日は2階喫茶室でコンサートがあるということで、

歩いて5分ほどの宿、御宿 玉川でチェックインを済ませてから

聴きに行きました。

 

 

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杉本摂子さんと「くるみ」の皆さんによるコンサート。

 

イタリア歌曲を中心とし、朗読や宮沢賢治さん関連のエピソードも交えた

すばらしいコンサートでした。

 

ジェルソミーナの歌(フェリーニの映画「道」のテーマ)や、

もの悲しくもやさしくなつかしいイタリア歌曲を聴いていると、

何故か妻や子どもたちの顔が浮かんで、

これら家族ができたことが奇跡のように思われ、

こみあげてくるものがありました。

 

会場正面には肖像画があって、

すぐそばで宮沢賢治さんが見守ってくれているようにも感じました。

 

コンサートの後、オーナーの宮澤和樹さんにご挨拶しましたが、

徳島県立文学書道館での展覧会の案内状といっしょに

不躾にも送りつけた私の作品集のことを覚えていてくださり、

「花巻にいる間に是非また来てください」と言ってくださいました。

 

芸能や文化の拠点ともなって

宮沢賢治さんを慕う人々が集う「林風舎」は

宮沢賢治さんが作ったコミュニティー「羅須地人協会」が

復活したかのようにも感じられました。

 

 

 

その後、市街地を散歩しました。 

 

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市街地の中にも、まだこんななつかしい雰囲気が残っている

花巻の魅力をしみじみ味わいました。

 

けれども、古いものばかりでなく、

新しくできたところで、

とても惹かれる一角がありました。

 

 

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昔ながらの商店街に脇道があり、

不思議な空間につながっていました。

 

 

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道の両側に、彫刻作品のあるニッチのような空間が照明で浮かび上がり、

そこは別世界への通路のよう...。

 

後で調べてわかったのですが、

これは2004年に完成した「大堰川プロムナード整備事業」の一環として

できた空間だったのです。

 

 

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これは市街地を貫流する大堰川が

コンクリートで覆われた川となっていたのを、

花巻市新発展計画で

自然型の護岸として本来の川らしい川に再生させ、

河川沿いに歩行者道を整備する、というものです。

 

後日このプロムナードをすべて歩いてみましたが、

植生を考慮した高品位なデザインが凝らされ、

すばらしい空間になっていると感じました。

 

 

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地元の方々の評価はよく確かめらませんでしたが、

街の中にある、もうひとつ内なる空間、という感じで、

宮沢賢治さんの故郷だからこそできた

すばらしい事業であると思いました。

 

 

 

 

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さて、その近くに賢治さんが足繁く通ったと言われる

やぶ屋」というそば屋さんがあり、

その日の夕食はここでとりました。

 

賢治さんの注文は、決まって天ぷらそばとサイダーであったといいます。

 

 

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私はサイダーではなく、ビールをいただきました。

 

次回に続く)

花巻へ行く前日の7月10日(土)、

東京、共立女子学園図書館展示室で開かれている

鳴門の画家たち展 -ベニウズの三人-

を見に行きましたが、

その前に銀座、兜屋画廊で開かれていた、

私の敬愛する作家、金井一郎さんの展覧会に

行かせていただきました。

 

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このたびはLED電球を使った、なつかしい街灯をモチーフにした作品と、

植物の明かり、そして梶井基次郎の作品世界を描いた翳り絵を

見せていただきました。


「翳り絵」とは、

黒いラシャ紙に木綿針で細かな穴を数万あけ、

その紙を3,4枚微妙にずらしながら固定し、

光をラシャ紙の後ろからあてる、という技法で、

暗闇の中に静かに浮かび上がる映像は

不思議な立体感があり、

心の奥深くをのぞき見るような神秘感があります。

 

 

金井さんとの出会いは、とても不思議なものでした。

1992年の8月末、2度目に花巻を訪れたとき、

イーハトーブ館の図書室で資料を見ていて、

雑誌「アニマ」に載っていた金井さんの翳り絵作品

「銀河鉄道の夜」の数点を見つけ、魅了されてしまいました。

お名前だけ控えて帰ったのですが、

その数日後、何気なくテレビを見ると、

なんと金井さん御本人が映っていました!

そのとき東京で開かれていた「銀河鉄道の夜」を描いた翳り絵の展覧会

「金井一郎ピンホール・ワーク展 宮沢賢治の宇宙へ。銀河鉄道の夜へ。」

(9月4日~13日・池袋パルコ7Fスペース7)

と、制作の様子が紹介されていたのです。

 

そのとき東京の大学で宮沢賢治さんの研究をしていた

妻(このときは結婚前年でした)に

展覧会に行って様子を伝えてくれるよう頼みました。

すぐ展覧会を見に行ってくれた妻の返事は、

「無理をしてでも見に来た方がいい」でした。

そこですぐに飛行機の予約をし、

その週末、展覧会を見に行きました。

 

すっかり感動してしまった私は、

アンケート用紙に熱く感想を書き連ねました。

すると後日、ご丁寧にもお便りをいただきました。

うれしくなった私は、

私の作品と学校での活動をまとめたビデオを送らせていただきました。

そして翌年、東京・銀座で開いた個展の初日には、

思いがけずも見に来てくださいました。

それ以来、たまにお便りのやりとりなどがあって

おつきあいいただいています。

 

金井さんからいただいた「植物のあかり」たちは

私のアトリエの一角を不思議な空間にしてくれています。

 

 

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きのこのあかり

 

 

 

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ほおずきのあかり

 

 

 

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右は からすうりのあかり

 

 

 

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ランプシェードのスペア(下の段)もたくさんいただきました。

これでひとしきり遊べます。

 

 

 

金井さんの「銀河鉄道の夜」については

理想書店 ボイジャーから「翳り絵版 銀河鉄道の夜」という

電子本が販売されています。(525円)

 

 

 

今回も、さびしげでかわいらしい街灯と、

翳り絵・梶井基次郎の世界は

思い出そうとするけれども

なかなかはっきりと言葉にできない、

なつかしくも大切な何かを、

心の底から引っ張り出してくれるかのようでした。

 

花巻への旅の始まりに当たって、

また宮沢賢治さんがもたらしてくれた不思議なご縁を感じました。

 

次回に続く)

花巻への旅 7/11~16

制作を中心とする生活にしたいという願いから

教員を辞めたのが2007年3月。

それから作品集の出版や、

4回の個展、2回のグループ展(ベニウズ展)や

師・津田季穂の展覧会等に取り組み、

結構忙しく過ごしてまいりました。

 

その間、多くの作品も生まれましたが、

もうひとつ「制作を中心とする生活」と

言い切れる状態ではありませんでした。

26年も続いた教員時代のクセ

― 事務的な仕事を片付けることを創作活動よりも優先してしまう

という習慣からなかなか抜けきれなかったためです。

 

創作活動のために退職したのに、

「思う存分絵を描いてもいいんだ」という気持ちになかなかなれず、

忙しくしていないと不安になるというような精神状態でした。

 

少しずつ少しずつ、時間をかけて

このような状態から抜け出そうとしてきましたが、

最後の決め手にしたいと思ったのが、

宮沢賢治さんの故郷花巻への5泊6日のスケッチ旅行でした。

 

宮沢賢治さんは、その童話を通して、

「人間が最も大事にすべきものとは何か」を

私に教えてくれた人です。

 

「僕はもう、あのさそりのように

ほんとうにみんなの幸いのためならば

僕のからだなんか、百ぺん灼いてもかまわない。」

 

これは、「銀河鉄道の夜」の主人公ジョバンニの言葉ですが、

「神」或いは「宇宙」というのでしょうか、

私たちをかく在らしめている根源的なものを

実際に感じていなければ生まれない言葉だと思います。

 

私は大学時代にそのほとんどの童話を読んで、

大きな心の支えとなりました。

 

また教員時代に、

童話を道徳や特別活動の教材として使わせていただいたり、

 

 

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 「どんぐりと山猫」の劇 (徳島県立板野養護学校板野分校にて 1991年)

 

 

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私が描いた「山猫」設計図

(ますむらひろしさんのまんが「どんぐりと山猫」を参考にさせていただきました。)

 

 

 

 

童話が与えてくれたインスピレーションによっていくつかの作品も生まれました。

 

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セロ弾きのゴーシュ 1993           つめくさのあかり 1993

 

 

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 風の又三郎 2003            羅須地人協会跡にて 1994

 

 

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山猫の馬車別当 1995                    風とゆききし雲からエネルギーをとれ 1997

 

 

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セロ弾きのゴーシュ(立体作品) 2008

 

 

 

妻も大学で宮沢賢治さんの研究をしましたが、

1991年に共に花巻を訪れたことが

今の私の家庭が生まれるきっかけとなりました。

 

このように私にとって宮沢賢治さんは

人生を良き方向に導いてくれるガイドでもあります。

 

そしてこのたびの花巻への旅も、

私にすばらしいものをもたらしてくれました。

 

次回に続く)

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