春の坂道
妻と子どもたちと、
桜を見に行った、
その途中の景色です。
- 2006~2009
- 水彩,パステル・紙
- 10.7×14.1 cm
妻と子どもたちと、
桜を見に行った、
その途中の景色です。
すすきが美しい季節、
子どもの頃家族で釣りに行った、
思い出の場所を訪れました。
父の故郷神戸への、
家族旅行の途上で。
今ではもう珍しくなりつつありますが、
徳島は、市内でもまだこんなのどかな場所があります。
2006年の夏休み、
子どもたちといっしょに
魚とりに行ったときの風景です。
前頁と同じとき…
1999年の思い出です。
4月の寒い日、
吉野川河川敷の菜の花畑を訪れました。
ひばりが鳴いて、空には天使のはしご。
菜の花畑の中にも、
妖精たちの不思議なすみかがたくさんあるよう…。
菜の花の間に見え隠れする2人の子どもも
妖精のようでした。
私の子どもたちへ
どんなに幸せな思いで
お父さんが皆を見ていたか
わかるかな
こんなふうにこの世界で
みんないっしょになれた。
みんながお父さんに幸せを持ってきてくれた。
この、目に見える世界で
ひとりひとりが大きくなって
こんなふうに会えない日が来ても
目に映るものにまどわされてはいけない。
私たちはいつもいっしょ
いつまでも
いつまでも。
今、このように家族と過ごしているとき、
至福に包まれることが増えています。
至上の喜びを感じて
こみあげるような気持ちになるのです。
そんなときには心の中で、
「もう十分です。もう私は何もいりません。」
と叫んでいます。
歳をとっても、
私の母は週に一度、
私の子どもの面倒を見に来てくれていました。
ある夕方、
一緒に近くの駅まで散歩に行ったときの風景です。
若い頃の母、そして幼い私と弟です。
命、神―宇宙…そして愛の特質は
「けなげさ」だと言えるのではないか、と思うことがあります。
不完全だと思う自分の奥に、いつもけなげな自分がいます。
不完全に見える人々の奥に、いつもけなげなその人がいます。
その行動が不完全なものであっても、
その動機は実は純粋なものです。
いつも愛されたいと思う自分がいます。
いつも愛そうと思う自分がいます。
いつもけなげに「よかれ」と思う自分がいます。
私たちの不幸は、
不完全に見えるところに焦点を当てることによって
発生するように思います。
その奥にはいつも完全な私たちがいます。
この微妙なトリック!
その奥を見ることで、私たちは幸せになれるのだと思います。
入学式を終えて次の日、
この子は初めてひとりで小学校へ行きました。
子どもにとっては長い道のりを、
はじめてひとりで歩きました。
少し心細くて疲れた一日の帰り道、
やっと自分の家が見えたとき、
家の前ではもうお母さんが待ってくれているではありませんか。
なつかしさと安心で、
急に足取りも軽くなります。
人生の最期がこんなだったらいいなあ、
と思いながらこの絵を描きました。
向こうに見える家は、
この世界の背後に潜む、
私たちが帰るべき本当の故郷です。
夢のような明るい春の日の幻想です。
ただいま