春の庭でⅠ
庭は、私の最も近くにあって
自然の神秘を感じさせてくれる場所でした。
幼かった頃の私は、
草花の葉陰や、生い茂る木々の枝葉の向こうに、
何か別の世界への入り口があるように感じました。
- 2008~2009
- 水彩,色鉛筆・紙
- 10.0×14.9 cm
庭は、私の最も近くにあって
自然の神秘を感じさせてくれる場所でした。
幼かった頃の私は、
草花の葉陰や、生い茂る木々の枝葉の向こうに、
何か別の世界への入り口があるように感じました。
庭の木々の
それぞれに曲がった枝葉が交差し、
入り乱れ重なった空間の奥…
雨どいの下、小さな草の間にある小石の陰…
透き通った水が流れる、
メダカやザリガニのいる小川のほとりに生い茂った
雑草の陰や小川の中の石陰…
幼い私は、そんな場所に、
別世界への通路があるように感じていました。
4才の頃、
当時中学生の叔母が持っていた学習図鑑の中に、
恐竜の絵を見つけたときには、大きな衝撃がありました。
とても恐ろしかったのですが、
それなのに私はその姿に魅了されてしまいました。
そして夢にも出てきました。
当時私の家の裏には埋め立てられた空き地があり、
その向こうのれんげ畑が湖になっています。
そこにたくさんの恐竜がいて、
小さな私はその恐竜たちにえさをやっています。
ただそれだけの夢ですが、ある時とても描きたくなりました。
恐竜たちの姿は、研究が進むにつれて、
私が小さかった頃とはずいぶん違ってきましたが、
夢の中の恐竜は、図鑑に載っていた
ピーボディ自然史博物館の恐竜図がベースになっています。
これも4才の頃に見た夢です。
当時母が看護師として勤めていた病院の中庭に
よく遊びに行っていました。
その庭の池から、
首長竜のような大きな生き物が突然現れ、
近くにいた大人の人が食べられてしまいます。
その後生き物のおなかに大きな穴ができて、
私はそこに呑まれてしまいます。
内部は口の内側のようにぬめぬめしていてやわらかく、
すべって外に出ることができません。
弟は外で泣いています。
…当時私は一つ下の弟に対して
つらく当たることが多かったのですが、
この夢はそんな私の自己処罰なのかもしれません。
うちのうらのちしゃの木に
雀が3匹とまって
ほろりほろりと泣かしゃるわ
なんでそんなに泣かしゃるぞ…
祖母がよく歌ってくれた子守歌の一節です。
小さかった頃の私の心には、
この絵のようなイメージが浮かんでいました。
夢うつつで見た、春夜の幻です。
1994年、
神戸の中山手カトリック教会を訪れたときに
浮かんできたイメージです。
「奇しき葡萄の木」とはキリストのこと。
古いカトリック聖歌集の中にある歌の題名です。
2000年の11月30日、
私の子ども2人(左側の2人)と、
お隣の子もいっしょに、
家の南にある八幡神社に
どんぐり拾いに行きました。
本殿の後ろの方に古い木がありますが、
その木の虚に木の精というか、妖精というか、
確かにこんなのがいるような気がしました。
子どもたちが近づいてくるので、
見つかりはしないかと緊張しているのです。
つつじは、
花だけでなく、
葉の緑も柔らかく、
木自体が美しいと思いますが、
その入り組んだ枝葉の間から根もとをのぞき込むと、
そこにもひとつの世界があります。
妖精たちが住んでいるのは
こんな場所だろうと思います。
白昼夢のように明るい五月。
つつじの木の下にある隠れた空間に
人知れず息づく、春の命…。
これは庭の一隅を飾る彫刻作品の
構想図を発展させて
絵にしたものです。
高校で勤めていたとき、
毎年5月頃に、
「妖精たちの住む場所」というテーマで
美術の授業をしていました。
校内で妖精(あるいは妖怪)がいそうな場所を見つけて、
そこにいそうな妖精(あるいは妖怪)を加えて
その場所を描く、というものです。
女子生徒2人が、妖精を探して、校内を散策しています。
妖精たちに見られているとも知らずに…。
「草葉の陰から」などと言いますが、
草むらの中には、
本当に別世界 ―あの世― への入り口がありそうです。
妖精は、
そんな身近な自然の背後にある世界と、
この世とを結ぶ存在なのかもしれません。
春、道ばたなどに咲いている
小さな青い花ベロニカ(オオイヌフグリ)は、
私の最も好きな花です。
あの青い色は、
しばらく見つめていると、
吸い込まれてしまいそうな、
不思議な気持ちになります。
その花を愛でる二人の妖精です。
これは、私の母が17歳の時に見た夢です。
夢の中の母は7~8歳の子どもになっています。
西隣の家の庭で友だちと遊んでいると、
「誰かが呼んでいるよ」と一人の友だちが知らせに来ます。
道路に出ると、北の方から、
真白の衣服、真白の長いあごひげを生やした人が
笑いながら手招きをしています。
互いに近づき、互いに何も言わず、でもこの上ない慈しみをこめて、
その人は母を軽く抱きしめてくれます。
熱い思いが胸いっぱいこみあげるのを感じながら、
何度も振り向きつつ友だちの中に帰る母…
そして幾日かの後、また「この前の人が来ているよ」と知らされます。
そのようにして3度目に会ったとき、
その人は軽く頬ずりしながら言いました。
― 「旅の支度をしてきなさい」 ―
家に帰って急ぎ旅支度をした母は、
近くの水路にかかる小さな橋の上でその人に会います。
「どっちへゆくの」
母の問いに、その人は無言で南西の空を指差します。
一緒に歩き出したところで、母は目覚めたと云います。
小さい頃から何度も聞かされて、
まるで自分が見たもののように心に残る、母の夢です。