海の見える窓辺
2008~2010年に同じモチーフで制作したことがありますが、
再度作品にしてみました。
- 2011~2012
- パステル,クレヨン・紙
- 26.9×23.8 cm
2008~2010年に同じモチーフで制作したことがありますが、
再度作品にしてみました。
徳島新聞「徳島歌壇・俳壇」3月分イラストとして描いたもの。
1999年の思い出です。
2003年5月5日の思い出です。
ずいぶん前に描き始めていたものを、
徳島新聞「徳島歌壇・俳壇」の5月分イラストとして一旦仕上げましたが、
モノクロ画像を新聞に載せていただいた後も、
雑踏の人物を少し下に下げたり、色彩を強くするなど、手を加えました。
2011年8月18日、
四国放送のニュース番組「フォーカス徳島」の中で、
私が前年7月、宮沢賢治の故郷・花巻を訪れ、スケッチをしたことについて
「宮沢賢治の岩手・花巻 心のふるさと 描き残す」というタイトルで紹介してくれました。
宮沢賢治の作品の中に描かれている「心のふるさと」を花巻の随所で実感し、描いたことによって、
徳島に帰ってからも身近なところに「ふるさと」を見出しやすくなっていった…
そんな私に、思いがけずふるさとの「原風景」を描いてほしいという依頼が舞い込み、
2枚の絵(2010年「夏の朝」「帰る」)を描かせていただいたことも紹介していただけました。
その数日後、テレビを見てくださった、近所にお住まいのNさんから、
ご主人のお母様、そしてご主人の原風景でもある古い家を描いていただけませんか、
というお話をいただきました。
ご主人のお母様がご高齢になり、このたびお母様が慣れ親しんだ中島田町(私の近所)の土地に
新しい家を建て替えて、同居をしようということになったということ…
しかしお母様にとって、その古い家は嫁として母としてがんばって、
何十年も生活した思い出がたくさん詰まった家なので、
できたら壊したくないという気持ちが強いとのこと…
けれど老朽化していてそのまま住むのもリフォームするのも無理があり、
同居をするためには、この際建て替えるしかない…
そんなときにテレビを見て
「思い出の家を描き残してもらって、お母様の部屋に飾ってあげたい」
と思われたということです。
なつかしいおうちの前でご家族がおられるところを描くことになり、
古いアルバムを見て参考にさせていただいたり、
現地に行って、写真を撮ったりスケッチをしたりしました。
時代は昭和39年か40年頃…
中央には一番上のお兄様と、バイクが好きだった亡くなられたお兄様に抱かれた小さかった頃のご主人…
それを見守るお母様と、亡くなられたお父様…
その様子を家の窓から見ているのは現在のご主人とNさん、そしてご長男です。
これもずいぶん前に描き始めていたものを、
徳島新聞「徳島歌壇・俳壇」の7月分イラストとして仕上げました。
これもずいぶん前から制作していたもので、
2011年9月1日~30日の「眞野孝彦 八木和彦 二人展」の際に仕上げて出品しましたが、
その後2012年1月19日~25日の 京阪百貨店 守口店 京阪美術画廊Ⅱ での個展に出品する際に
また手を加えました。
2010年9月4日、
鮎喰川下流の鉄橋(高徳線)下の風景です。
ギャラリーカフェGRACEでの展覧会
「八木和彦絵画・美術教室作品展(2012 8/5~31)」のとき、
GRACE向かいの屋外壁面(イングリッシュ・ガーデン)前に展示した立体作品です。
徳島は狸の祠、伝説が全国で一番多くある場所です。
徳島の人々は、朧な意識や無意識の状態で出会う不思議な出来事は
何でも狸のせいにしてしまう傾向があったようですが、
実際狸の数も多かったのでしょう。
野や山と人里との境界に出没する狸は、妖精と同じように、
意識と無意識、この世とあの世とをつなぐ存在だったのだと思います。
徳島は市街地にも狸の祠がたくさん残っていますが、
開発に伴ってビルの屋上に上って
人目につかないようになってしまった祠もあるとのこと…
徳島という土地の原点を思い出すためにも
市街地の一角に置く立体作品を作ってみたいと思うようになりました。
題名は「The secret pathway―秘密の通路―」。
自然と人間、現在の町と心のふるさと、過去、現在、未来をつなぐ通路を行き来する狸の姿です。
目立つ作品ではなく、
「探さなければわからないような作品」「見出す喜びを感じられる作品」
というのも一つの目標として作りました。
徳島新聞「徳島歌壇・俳壇」9月分イラストとして描いたもの。
その後、線路の向こうに描かれている家で育った方との不思議な出会いがあり、
この絵は今その方のところにあります。
徳島新聞「徳島歌壇・俳壇」の12月分イラストとして描いたものです。