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エピソード 1-1.自分の内にある豊かな世界に気付く

自分の内にある豊かな世界に気付く

1.感性を高めるために

理性中心の価値観がもたらした物質文明の極みともいえるこの現代社会においては,膨大な情報が入り乱れるとともに、それを分析・処理する能力がますます求められ、人々の生活は忙しく、緊張とストレス に満ちている。われわれの感覚は種々雑多な外的刺激の奴隷と化し、物事をじっくりと、ゆったりと、或いはしみじみと深く感じ取り味わう余裕を失っている。このような社会の中にあって、美に対する感性を高めるということは非常に困難なことのように思われる。しかしまたこの様な状況であるからこそ、真の潤いと癒しを見出すべき感性を高めるということは、今何にもまして必要なことであるとも言えるのではないだろうか。それは現代社会の中で人々が失ってきた「大切な何か」を再び見出していく作業ともなるだろう。ではいったい何処にそれを見出そうというのか――灯台下暗しというが、「自己の中に」にこそそれを見出せるのではないかと私は思う。忙しく外的事物へ向かおうとする諸感覚の働きをひととき休め、自己の内なる世界に向かい、その豊かさを思い出したとき、つまり理知的、理性的なレベルよりもはるかに深いレベルにおいて自己存在の真の価値を垣間見、それを実感できた際には、同時に――他者や自然も、自己と全く同等にかけがえのない価値を持っているということをも実感できる――感性の豊かさを自分のものとすることができるのではないだろうか。

2.実践例

ここでは一つの実践例を提示したい。その中に一人一人の感性或いは直観力を高め、創造力を伸ばすための私自身の基本的姿勢が多く表現されていると思うからである。また、この題材は、美術教育にとどまらず、人権教育や進路指導における有効性もあると思われる。

◆題材 自分のうちにある豊かな世界に気付く~「ほんとうの自分」の探求  ~(想像画)
◆題材設定の理由

青年期は、事故の可能性が膨らむ磁気であり、自己実現に向かって大きく動き出す時期でもある。しかしそれに伴って心は外に向かいがちであり自己認識がおろそかになっている場合は、自分の主体性や役割を見失い、心理的に不安定になりやすい(identitycrisis)時期であるとも言える。安定した、ゆるぎのない状態を獲得するためには、自己とはどのようなものであるか――本来自己の中にある豊かさに気付いていなければならない。つまりアイデンティティーを見出す必要がある――そしてそれが感性を高めることと密接につながっている――ということであるが、そのための一つの契機、或いは一助となればと思い、本題材を設定した。

◆題材観
本題材は私自身の体験に基づき、考案したものである。
それは大学時代のことだったのだが、私は、或る友人の描が気になって仕方がないという時期があった。彼の絵の中に私の絵にはない優れた面を見出し、自分と比較しては気落ちする、ということを繰り返していた。力の限り描いてみても、結局自分の中に足りない面や欠けているところばかりを見てしまう、というような時期であった。思い悩み、不安で寝付かれないこともよくあった。...或る晩、やはり思い悩んで布団の中で悶え苦しんでいるときに、不意に(晩秋であったにもかかわらず)雨蛙の鳴く声を聞いた。とたんに体中の力みが解きほぐされるのを感じた。雨蛙の声がきっかけとなって、幼かったころ  の記憶や郷里の風景、家族の思い出などが鮮明に、込み上げる感動とともに蘇ったのである。それは最も自分らしい自分を思い出すという体験であった。同時に、自分はこのままでいい、と感じることが出来た。あえて努力などしなくとも、自分の中に既に独自な豊かな世界があることを認識したからである。また、現在の自分の労をねぎらい、いたわりたいという気持ちも起こってきた。そして自分の中に確固としたものを感じると同時に、他者もかけがえのないものとして感じられた。...なつかしいイメージには心の癒しをもたらす大きな力があると確信できた印象的な体験である。
 本題材は、以上のような体験を意図的に作り出そうというものである。つまり、私の体験は、思い悩んでいるとき(心が外に向いているとき)には気付かされない内面の豊かな世界が、或ることを契機に外に向かう力を緩めたときに明らかに見出されたということであるが、本題材は、外に向かう感覚、思考を意図的に休ませることによって、もともと自分の心の奥にある豊かな世界(そのイメージ)を浮かび上がらせようというものである。

◆授業展開

時間 学習活動 指導上の留意点
15分 ・題材の意味について理解する。
・自分の心の中にある豊かな世界について関心を持つ。
・題材の意義について例をあげながら説明する。
・指導者自身の体験について語る。
・自分の内にある豊かな世界を見出すためには創造力が必要であること、また顕在意識の働きを緩める必要があることを理解させる。
5分 ・自然の映像(VTR)を見る。 ・美しい映像を見ることでリラクセーションをはかり、内なる世界を見る準備をする。
15分 ・静かな音楽を聴きながら、言葉による誘導にしたがって想像を膨らませていく。
・心の奥にあって、平和と安心をもたらす場所を探る。
・体の力を抜いて深呼吸をさせ、さらにリラクセーションをはかる。
・最もなつかしい場所に帰ってきたところを想像させる。
10分 ・浮かんできたイメージをクレヨンで絵画表現する。 ・浮かんできたイメージは、本当の自分を探すための鍵ともなり得ることを理解させる。
5分 ・本時のまとめを行う。

*現在では、1年生の1学期、イメージのトレーニングとして、「音を形に表す」という題材を実施した後に本題材を位置付けるようにしている。
*良い作品を作ることよりも、本題材においては、一人一人の体験を重視したい。

指導資料

自分のうちにある豊かな世界に気付く
~「ほんとうの自分」の探究~

3.生徒の体験、感想より

・なにかこみあげてくるようなものがあった。おもわず涙が出そうになった。(Y・U男)

・すごく安心した。なにもない、すごくおだやかな場所(雲の上みたい)で何も考えずに横になってぼーっといた。お母さんのお腹の中にいるような感じ。 (M・T女)

・とてもあたたかい所だった。私は小さい時にいた自分の本当の家にいて、父が「おかえり」といってくれた。すごくなつかしくて、自然に泣いていた。昔と同じだった。ずっと帰りたかった所だった。ずっとそこにいたいと思った。長い間、ずっとかくしていた本当の思いが自然に出てくることが不思議だったけど、すごく必然的にも思えた。
やっと、正直な自分が見えたのだと思う。この授業までつらくて苦しかったのに、全部プラスの力になった。今、心の中はすごくふわふわしてやさしいかんじです。(M・K女)

・イメージの中に幼少時代兄弟と一緒に遊んだことや、身の周りの自分との関わりの強い人達のことが浮かんできて、自分は一人で生きてきたわけでなく、たくさんの人に支えられて成長してきたということを思い起こすことができた。昔の懐かしく美しい感覚が感じられた。

4.結果および考察

生徒は、心静かに内的世界を覗き見るというような行為には慣れていない場合が殆どであり、戸惑いを覚える生徒もいる.学習活動の意義や目的など、事前にしっかりと理解させておくことは不可欠である。また何よりも生徒との信頼関係を作っておくことが重要である。
実施の結果、リラックスでき、豊かなイメージが浮かんできたという生徒は多い.多くはなつかしい具体的なイメージが浮かぶようで、中には泣き出すほどに感動する生徒もいる。このような場合は、この体験が自己と他者、または自然の中にかけがえのない価値を見出し、或いは感じ取っていくためのひとつの手がかりともなり得るであろうと思われる.しかし生徒の体験は各自様々である。抽象的なイメージ(一つの色など)が浮かぶもののいれば、少数だが否定的なイメージや感情が出てくる場合も無きにしもあらずである.このような体験の中で、抑圧されていたものが意識の表面に浮かび上がることもあるからである.このような場合、それぞれの表れ方に冷静に対処することが必要になってくる。時にはカウンセリングの必要がある場合もある。しかし、基本はいかなる表れ方をも尊重し、受容するという態度であろう。このような体験を受け付けず、または全くイメージが浮かばないという生徒についても然りである。それはそれで全く問題はないのだということ、だこのようなリラクセーションの方法もあるのだと知ることだけでも価値があるのだということを、それらの生徒には 伝えたいものである。

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