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エピソード 1-2.特別活動における美術教育

特別活動における美術教育

1 特別活動と美術教育との関連について

新学習指導要領の芸術科の目標は「芸術の幅広い活動を通して」という言葉から始まっており、美術1の目標の冒頭にも「美術の幅広い創造活動を通して」という言葉が見られる。「美術の幅広い創造活動」とは、学習指導要領の解説によると、「一人一人が主題を自ら生成し創造的に表現していく活動や主体的に鑑賞し美しいものやよいものに感動したり、美術作品等の理解を深めたりする活動を、学校内の学習のみならず、自然の中や美術館・博物館等の施設や作家のアトリエなど、幅広く活動の場や主題を求め、様々な視点から豊かな創造活動を展開できるようにすることを目指している。」とある。
しかしこれを実践するには、少ない授業時間数の中では自ずと限界を感じてしまうところもある。けれども特別活動と美術教育を連動させることができるならば、多くの可能性が広がるのではないだろうか。特別活動は美術教育を補うものともなり得るし、美術教育を生かし、その成果を発表できる場、そしてその存在意義をアピールできる場ともなり得るとも思う。
またこれは私見であるが、「芸術」とは日常に埋没しているときは決して気付けない、日常の中(あるいは背後)に潜む非日常—しかし日常を日常たらしめている(そしてそこにつながる時には常に感動をもたらすところの)根源のものとその大切さを想起させる役割がある(そしてそれこそが「生きる力と心を育む」ことにつながる)と考えているわけだが、学校という場における「特別活動」も往々にしてそのような役割を果たすものではないだろうか。
私の場合、普通高校という場において「芸術」というものの目指すところの「人間にとって最も大切だと思われるもの」を生徒たちに実感させたいと願えば願うほど、自らの活動は「特別活動」との関連を深めていくこととなった。
拙いながらも全力を挙げて取り組んできた特別活動におけるいくつかの実践を、ここに紹介させていただきたいと思う。
しかしそのまえに、わたしがなぜそのような実践をするに至ったかということについても少々記しておきたい。

2 養護学校における「芸術」

私は、昭和61年度から平成6年度までの9年間、板野養護学校板野分校で病弱児童生徒の教育に携わった。また、昭和59年度は臨時で国府養護学校でも勤めたので、養護学校での経験は10年ということになるが、養護学校においては概ね「芸術」は大変大事にされていると思われる。それは学校生活の核となっていたと言っても過言ではない。養護学校における児童生徒の障害は非常に多様化しているので、個々に応じた「創造的」な、一人一人の個性を大事にする教育が不可欠であることも、それは無関係ではないだろう。また難病で長期の入院を要する児童生徒の多い病弱養護学校においては、特に「生きがい」を感じさせることが重視される。美術や音楽の授業における表現活動や、様々な行事における創造活動は、児童生徒たちを生き生きとさせた。実際それが病気の治療に確実に良い影響を与えたと思われる事例もあった。

3 阿波高校において

そして平成7年、阿波高校に転任になったわけだが、長年養護学校で過ごしてきた私は、大きなカルチャーショックのようなものを感じることとなった。まず、普通科高校においては、競争社会の縮図のようなものを感じさせられた。そこでは「合理主義」が大事にされ、受験競争の現実の前では、「個性」も「創造」も「人間性」も、そして「芸術」も甘い夢物語であるというような、そんな扱いをされているように感じたのである。
もしも最初から高校に赴任していたならば、そんな風には感じなかったかもしれない。しかしすでに30代も後半になっていて、慣れぬ高校においては新任も同様の心細さであったにもかかわらず、その環境に素直に同調することも出来なくなっていた。自分を異邦人のように感じる中で、心理的にも自分を追い込んでいくような状態にもなった。これはまさにアイデンティティー・クライシスであった。
このような状態で自分らしい活動をし、自分が大切だと思うものを周りに提示していくことは、それまで以上に困難さを感じたが、結局それを続けていくことこそが自己救済をもたらしたのだと思う。そしてそれが、私にとっては、特別活動における取り組みであった。

4 特別活動における取り組み

(1)学校祭の体験(平成7年度)

阿波高校に赴任して最初の年、居場所のなさを感じていた私であったが、居心地のよさを感じた時期もあった。それは、毎年9月10日前後に行われる学校祭(阿波高祭)の準備から本番に至るまでの時期である。実にこの時期は、学校が最も創造性にあふれるときであった。学校中のいたるところでものを作る音や、何かの練習をする音、笑い声や音楽などが聞こえてくる。生徒たちは自ら設定した目標の実現に向かって自主的に、実に生き生きと活動している。「豊かな人間性や社会性の育成」「自ら学び、自ら考える力(生きる力)の育成」「個性を生かす教育」「創意工夫を生かす教育」「特色ある教育」「特色ある学校づくり」等々新学習指導要領の基本的なねらいが、そのまま実現されている雰囲気なのだ。全く、学校というものの理想像がそこに実現しているように感じられた。そしてこの期間、美術室は生徒たちの活動のひとつの核となっていた。道具などを借りに来る生徒や、様々なものづくりの仕方の助言を求めてくる生徒が後を絶たない。そしてそんな時、生徒たちはなんと礼儀正しくなることか。自分がやりたいと思うことを実現させるために力を注ぐとき、人は自然に様々なことを学び、成長することができるものなのだと感じさせられた。この年、私は正担任ではなかったものの、様々なものの制作、準備に取り組みつつ、助言を求めてくる生徒にも忙しく対応しながら、非常なやりがいを感じていた。生徒たちにとって最も大きなイベントである学校祭­——それはまた生徒たちを大きく変える力と可能性を持つものでもあると思われた。

(2)クラス展示「ガメラ」の製作(平成8年度)

阿波高校で2年目の年、私は1年生のクラス担任となった。この年の学校祭で、私のクラスは文化祭の展示に取り組むことになった。(前年までクラスのパフォーマンス・ショー「エールを送ろう」に、1年生全クラス参加しなければいけなかったのだが、この年に限って自由参加となったためである。)何か大きなものを作りたいという生徒の希望があり、当時映画「ガメラ2」が公開されていたこともあって、大きな「ガメラ」を作ろうということになった。しかし、それが決まったのは学校祭の一週間ほど前で、仕方なく私が設計図を描き、急いで作っていくこととなった。けれども、いざ作り始めてみると、生徒たちは熱心に取り組み、特に核になった8名の美術部の生徒は、様々な技術を身に付けていった。そしてある程度形ができて来ると、まさかこの生徒が、とみなが思っていたような生徒が意外な活躍を見せたりもし、クラスの団結は深められていった。阿波高校では、それまでこのような立体造形物はあまり製作されなかったらしく、「ガメラ」は意外にも大好評で、文化祭当日は校門のところに設置され、体育祭でも活躍することとなった。(写真参照)

(3) クラスの「思い出ビデオ」の制作(平成8年度〜)

学校祭で大変よい雰囲気ができ、団結を深めることにもなったクラスであったが、学校祭も終わり、学習に追われる日々が続くと、生徒たちの顔からも生気が失われ、沈滞ムードになったりする。そのままの調子で3学期の終業式を迎えることが残念でならなかった私は、個人的に撮影しておいたビデオを元に、学校祭のクラスの活動の記録を主に、担任からのメッセージも入れたクラスの思い出ビデオを作成し、終業式後のホームルームの時間に見せることにした。ビデオ編集というものは膨大な時間と手間がかかるもので、それを年度末の忙しい時期にするのは大変きついところもあったが、どうしても「みんなにはこんなに良いところ、すばらしいところがあるじゃないか!」ということを映像を通して訴えたかったのである。これは大変に巧を奏し、感動で泣き出す生徒もいて、大変良い雰囲気の中、この年度を終えることができた。その後も「淋しい時やつらい時には、あのビデオを見たら元気が出る。」と言ってくれる生徒もいたりして、クラスの「思い出ビデオ」の制作は(大変だが)毎年続けている。

(4)クラスのパフォーマンス・ショー
「エールを送ろう」での取り組み(平成9年度〜) 
 

学校祭の前日祭で行われる「僕らの序曲〜エールを送ろう〜」は、応援合戦から発展したクラスのパフォーマンス・ショーで、阿波高祭の伝統的な種目である。ダンスや劇など、自由な表現形式で各クラスの主張をアピールする。(最も、ここ数年、メッセージ性はだんだん失われ、単なるパフォーマンス・ショーになりつつある。)  しかし、平成7〜8年当時、ますます忙しく余裕のなくなる高校生活の中で、クラスが一丸となって取り組むこのような行事には無理があるのではないか、もうこんなイベントはやめても良いのではないかという意見もあちこちから出たりしていた。実際、どのクラスもそれなりに工夫を凝らした発表をしていたものの、一時期ほどの盛り上がりは見られなくなっていた(らしい)。
ところが、平成9年度、私は2年生の担任となったわけだが、このクラスの生徒たちの「エールを送ろう」に向けての意気込みは並々ならぬものがあった。一つには、みな、前年度の私と私のクラスの取り組みを見ており、「今年はもっとすごいことができるのではないか」という期待があったこと。また一つには、前年度「ガメラ」の制作で鍛えられた美術部員が5名も、また同じクラスのメンバーになっていたこと。もう一つは生徒会長や、大変個性的でパワフルな生徒が多数いて、それら影響力の大きい生徒が皆やる気になっていたこと。それらの要因が不思議と重なり、皆(私も)、今までになく大がかりで、皆をあっと言わせるようなパフォーマンスにしてやろうという意気込みで、準備、練習に取り組んでいった。普段まとまりのあるクラスではなかったが、この期間は不思議なまとまりが見られた。一人一人が個性的でありながら、そのままで不思議にまとまるのである。そしてこのクラスの取り組みに啓発され、ほかのクラスも負けじと準備に精を出し、学校全体が活性化されていくようだった。
内容は、この年大きな評判になっていた映画「もののけ姫」を元にした野外劇となり、そのキャラクター(森の荒ぶる神々)3体を大道具として登場させ(これは前年度の経験がある生徒がいたからこそ実現できたことである)、本番は、メッセージ性も強い上々の出来となり、多くの者に感動を与えることができた。「感動した。」「見ていて鳥肌が立った。」というような感想を多くの生徒から聞くことか出来たこともうれしかったが、それ以上に先生方から「何か大切なことを思い出させてくれるようだった。」「励まされ、力づけられた。」「人間って捨てたもんじゃないと思いました。」等々の感想をいただいたことは意外なよろこびであった。「美術」あるいは「芸術」の存在価値を、皆に実感してもらえたという手応えを感じた瞬間でもあった。
そしてこの時以降、「エールを送ろう」などもうやめてもいいのではないか、という議論は聞かれなくなった。
また、準備から本番までをまとめた、クラスの「思い出ビデオ」は、次年度以降学校歳前に1年生に見せるようになったが、これを見ると、教師が何も言わなくても、1年生はやる気を出し、早くから準備に取りかかるようになっている。映像というものの持つ影響力の大きさを感じる次第である。
平成10年度には1年生、11年度は2年生、今年度は3年生の担任をしているが、同様の活動は毎年続けている。(*写真参照)
なお、このようなクラスの出し物を成功させるための秘訣は、以下のようなものであると思う。

                                          

◆仕上がりのイメージは、実現不可能ではないかと思うほど大きく、かつ挑戦してみる価値があると思えるほど魅力的であること。
◆中心になって準備を進めていく生徒(なるべく5〜6人以上)の育成。彼らに自分たちの仕事の意義と誇りを感じさせること。(大道具などがある程度でき、視覚的に確認できるようになると、自然にクラス全体が準備に参加してくるものである。
  また、次のような4つの基本的な心構えを持つよう、クラス全体に指導するようにしている。
◆責めない(人を、自分を)
◆強制しない 
◆まず自分が楽しむ 
◆楽しいイメージをする

(5)学校生活を活性化させるためのビデオ作品の制作・鑑賞(平成10年度〜)

阿波高校では毎年予餞会において、映画上映の前に、生徒会作成の「思い出のスライド」がナレーションつきで上映されていた。平成9年度にはその一部(離任された旧担任の先生からのメッセージ)をビデオにしようということになり、私がその編集を指導した。生徒会のスタッフは大変熱心に取り組み、「スライドではなく、全編ビデオになればすばらしいね。」という話が出たりもした。そのことが元になって、平成10年度より始まった県立学校教育文化推進事業で、阿波高校は「学校生活を活性化させるためのビデオ作品の制作・鑑賞」に取り組むことになり、生徒会の中に「ビデオ作品制作実行委員会」という組織を作り、私が指導していくこととなった。
主たる活動は 1.予餞会VTR「思い出」(約2時間の作品)の制作 2.学校紹介VTR(地域の中学校における進学説明会にて上映)の制作 3.高文祭や放送コンクールに出品する作品の制作 などである。学校紹介VTRは入学志望者を著しく増やす結果となり、短編の創作ドラマ作品は平成11年度の全国高等学校総合文化祭で賞をもらったりした。
しかしやはり最も力を注いでいるのが予餞会VTR「思い出」の制作である.映画の代わりにこれだけを上映するようになったわけだが、2時間の作品を作るのは並大抵ではない。しかし、作品は「高校生活にはこんなにすばらしいこともあった.自分たちにはこんなにすばらしいところもあった。かけがえのないもの、大切なものに気付いた瞬間も確かにあったのだ。」ということが再確認できるような構成で、卒業生だけでなく全校生に対する強いメッセージ性を持つものとなっており、多くの感動を呼んでいる.現代社会において忘れられがちな「大切なもの」を再発見させることにもつながるものであり、やりがいのある仕事であると感じている。

阿波高校で
5 結果、反省、今後の課題と願い
 

このように、私は高校において、美術教育との関連から、特別活動における取り組みに力を注いできたが、それはみんなに(生徒にも先生方にも)美術の、芸術の、そして自分の存在意義を認めてもらいたかったから、そしてみんなとつながりたかったから、というのが主な動機であったのだと思う。
特別活動におけるアピールは、結果としてその効果は大きく、ここ2〜3年、やっと私は居場所を得た気持ちになっている。
しかしこのせめてもの、そして精一杯の抵抗に費やしたエネルギーは大きく、必死の思いで築き上げてきた現在のレベルを維持していくことは、これまた不断の努力を要するものである。
私とっては、学校という場において、精一杯の自分らしい取り組みではあったと思うが、自然にその活動を続けられるかといえば、それには疑問があり、息切れがしていることも確かである。もう一方の自分らしい活動——自分自身の作品制作に充てる時間も、ここ何年かは犠牲にしてきたとも思う。現在の高等学校という場において、美術教師が本当に自分らしく生きることの困難さを感じる次第である。
また、私のやってきたことは、大海に一滴を加えるようなものだったかもしれない。しかし共鳴する多くの心に出会えたことも確かである。その響きが途絶えず、さらなる共鳴を作り出していくことを信じ、また祈りたいと思う。

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