今日の午後、鳴門市立図書館で、第57回ベニウズ展の搬入・展示作業がありました。
「ベニウズ」は、私が属する絵画グループです。
どんなグループかということは、1997年に徳島県立近代美術館ギャラリーで開いた
第50回記念ベニウズ展のあいさつ文(私が書きました)を読んでいただければ
おわかりいただけると思いますので、次に引用したいと思います。
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絵画グループ「ベニウズ」は、戦後間もない1946(昭和21)年のはじめ頃、
鳴門の青年画家、東伊三雄、雑賀公秀、今井貞貴ら6名が集い、発会いたしました。
翌1947(昭和22)年に、鳴門を訪れた放浪の画家津田季穂(後にカトリック修道士となる)
との交流が始まり、以後彼はベニウズの精神的支柱となってゆきます。
津田季穂(1899~1981)
津田季穂は1899(明治32)年日光に生まれ、
15歳で右目を失ってから画家となることを志し、
19歳で日本美術院展入選、村山槐多らと親交をもちます。
しかし、画壇の人間関係の醜悪さにあいそを尽かし、
22歳頃から各地を放浪することになります。
上海に渡り、また漁師になろうと和歌山県田辺に住み、
兵庫県でみかん山を栽培したりもしました。
1939(昭和14)年には作家稲垣足穂と会い、親交を深め、
彼の小説「弥勒」の中に画家Tとして登場したりもしています。
1943(昭和18)年、43歳でカトリックの洗礼を受け、
戦後鳴門に移ってからは布教の成果めざましく、
1959(昭和34)年、カトリック修道士となっています。
彼がいかに鳴門の地を愛していたかということは、
高知安芸、福岡古賀、阿南と各地の教会に赴任した後に、
最晩年は鳴門に帰ってきているということにも
明らかであると言えるでしょう。
1981(昭和56)年逝去。
津田季穂が生きた時代は、美術史上でも激動の時代で、
芸術家の多くは新奇を求め、様々な様式が現れては消えていきました。
それら様々な試みから学びつつも、それらに決してとらわれず、
世俗的野心や名誉心、その他の利を追うことなく、
彼の求めたものはただ「写実」でありました。
しかし彼の言う「写実」は、非常に深い意味合いを持っています。
それは目に見えるものを描くという行為を通して、
目に見えるものの背後にある見えざる本質―彼の言葉で言うなら「神」
―を求めることでした。
ベニウズの特徴というものも、彼のそのような在り方にならうことによって
自ずと形作られたと言えるでしょう。
津田の言葉を借りるならそれは
「神に於ける友情として一つの場を持つこと」なのでした。
さて、今では津田季穂もベニウズ創立当時のメンバーも、
皆故人となってしまいました。
けれども曲がりなりにもベニウズは生き続け、
今回、第50回記念展を開催する運びとなりました。
故人のものも含めた作品を並べてこれまでの歩みを振り返り、
今後のさらなる追求の糧としたいと思います。
ご高覧を賜りました上、私たちが制作を通して何を追い求めているのか、
少しでもお汲み取りいただければ幸いこの上ありません。
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今回、「故人のものも含めた作品を並べて...」のところは違いますが、
どんなグループ展かということについては、
だいたいおわかりいただけたかと思います。
私は、7月の個展以後の作品を11点出品しています。
お近くの方は是非ご高覧ください。
於 鳴門市立図書館 3階展示室
2008年12月11日(木)~14日(日)
9:00~17:00(最終日16:30) です。
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