眞野孝彦先生との2人展(9月)

今年もいよいよ残りわずかとなりました。

 

今年後半の出来事で、

まだご紹介できていなかったことを2つ記しておきたいと思います。

 

今日はその1つめ、眞野孝彦先生との2人展(9/1~30)について。 

 

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展覧会案内状

 

 

眞野先生と初めて出会ったのは、1997年の秋、

鳴門市のUZU珈ギャラリーで個展を開いたとき、

当時担任していた高2のクラスにいたJ・Tさんからのご縁で

展覧会を見に来てくださったときでした。

 

その後もお互いの展覧会でお会いしたり、

私が教員を辞めようと決めて後、

眞野先生が主宰する絵画教室に参加して勉強させていただいたり、

何回か一緒に写生に行かせていただいたり...と、

お付き合いが続いていました。

 

眞野先生は昭和5年生まれの81歳。

今でもご自分で車を運転して

長野県あたりまでスキーに行くなど、

その元気さは超人的です。

 

また、老人ホームでエレクトーン演奏のボランティアをされたり、

短歌の指導をされたり...と多才で、

何ものにもとらわれず人生を楽しむ

自由自在な生き方はすばらしいと思います。

 

 

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展覧会場の眞野先生

 

 

展覧会期間中は、

毎日曜日の午後、会場に出向いていましたが、

眞野先生からいろいろ楽しいお話を聞くことができました。

 

この展覧会について、徳島新聞の美術展評では、

徳島県立近代美術館学芸員の安達一樹様から

下のような評をいただきました。

 

2011122903.jpg下は今年5月下旬、

眞野先生からのお誘いで共に写生に行かせていただいたときの絵です。

眞野先生のご自宅近く、

閉鎖直前の吉野川遊園地の観覧車が見える風景です。

 

 

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画面左、

木陰で写生をしているのが眞野先生です。 

 

 

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コメント(3)

眞野先生との二人展、とてもアットホームな空間でしたね!
私もお邪魔して、とても楽しい時間を過ごしました。江川の風景は私にとってはとても大事な場所なので先生がこうやって作品にしてくださって本当に嬉しいです。あの遊園地が閉鎖になるというしらせを聞いたときには寂しい気持ちになりました。
私が鴨島を離れてからまちがどんどん変わっていることに対しても同じような気持ちです。でも「光」は変わらないと先生が書いてくださって、救われました。またブログ見に来ます!

私にとっても吉野川遊園地は特別な思い出の場所です。
私が小さい頃は確か江川遊園地といっていたと思います。
小学生の頃、私はお習字を習っていて、年に一回(確か文化の日だったと思いますが)鴨島小学校で「競書大会」というのがあって、小学校から貸し切りバスでみんなと一緒に行ったりしていました。
作品を提出してから表彰式までの間に菊人形を見がてら江川遊園地に遊びに行くのが私たちのならいでした。
小学3年生のとき、遊園地の入口前で、ひよこと筵の上に広げた古本を売っていたおじさんがいました。ちょっとみすぼらしい身なりで、並べられた本の中には私が当時買ってもらっていた小学館の学習雑誌の付録の漫画(キャプテンウルトラ)があったりして、なんだかそのおじさんのことがとてもかわいそうに思えて、一緒にいた母にひよこを買ってほしいと頼んだけれどかなわず、その後も母に「あの人はちゃんとみんなに買ってもらえるの?」とか「ちゃんとした暮らしができるの?」とか、しつこく訪ねたことがありました。
あの遊園地とともに、忘れられない思い出です。

先生の書かれていることすごくわかります。子どもの頃のそういう記憶って鮮明に残りますよね。私も子どもの頃はその人が自分の身の上を嘆いたわけでもないのに何故か可哀想だなという気持ちで自分の心が痛いような感覚によくなりました。今となってはその人も人間観察を楽しんでいたのかなというような解釈も出来ますが、心を打たれる姿ではありますね。先生のそういう体験を語ってくださる、表現してくださるところがいつも素敵だなと思っています。鴨島の遊園地で私も絵画コンクールに参加していました。表彰式に自分が呼ばれないことが本当に劣っていることで恥ずかしいという気持ちになっていました。私は絵を描くのは好きですが、なかなか続かないし評価もされません。ですが私が今自慢できることは全部八木先生に教えていただいたことに繋がっています。私の身内が今母校に勤めていますが、予選会のVTRはまだ続いているということでした。今はパソコンで簡単に編集が出来てしまうので、テープが絡まって冷や冷やすることもないのでしょうね(笑)あの時は死ぬかと思いましたが今となってはいい思い出です。

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