花巻への旅 7/11~16

制作を中心とする生活にしたいという願いから

教員を辞めたのが2007年3月。

それから作品集の出版や、

4回の個展、2回のグループ展(ベニウズ展)や

師・津田季穂の展覧会等に取り組み、

結構忙しく過ごしてまいりました。

 

その間、多くの作品も生まれましたが、

もうひとつ「制作を中心とする生活」と

言い切れる状態ではありませんでした。

26年も続いた教員時代のクセ

― 事務的な仕事を片付けることを創作活動よりも優先してしまう

という習慣からなかなか抜けきれなかったためです。

 

創作活動のために退職したのに、

「思う存分絵を描いてもいいんだ」という気持ちになかなかなれず、

忙しくしていないと不安になるというような精神状態でした。

 

少しずつ少しずつ、時間をかけて

このような状態から抜け出そうとしてきましたが、

最後の決め手にしたいと思ったのが、

宮沢賢治さんの故郷花巻への5泊6日のスケッチ旅行でした。

 

宮沢賢治さんは、その童話を通して、

「人間が最も大事にすべきものとは何か」を

私に教えてくれた人です。

 

「僕はもう、あのさそりのように

ほんとうにみんなの幸いのためならば

僕のからだなんか、百ぺん灼いてもかまわない。」

 

これは、「銀河鉄道の夜」の主人公ジョバンニの言葉ですが、

「神」或いは「宇宙」というのでしょうか、

私たちをかく在らしめている根源的なものを

実際に感じていなければ生まれない言葉だと思います。

 

私は大学時代にそのほとんどの童話を読んで、

大きな心の支えとなりました。

 

また教員時代に、

童話を道徳や特別活動の教材として使わせていただいたり、

 

 

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 「どんぐりと山猫」の劇 (徳島県立板野養護学校板野分校にて 1991年)

 

 

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私が描いた「山猫」設計図

(ますむらひろしさんのまんが「どんぐりと山猫」を参考にさせていただきました。)

 

 

 

 

童話が与えてくれたインスピレーションによっていくつかの作品も生まれました。

 

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セロ弾きのゴーシュ 1993           つめくさのあかり 1993

 

 

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 風の又三郎 2003            羅須地人協会跡にて 1994

 

 

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山猫の馬車別当 1995                    風とゆききし雲からエネルギーをとれ 1997

 

 

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セロ弾きのゴーシュ(立体作品) 2008

 

 

 

妻も大学で宮沢賢治さんの研究をしましたが、

1991年に共に花巻を訪れたことが

今の私の家庭が生まれるきっかけとなりました。

 

このように私にとって宮沢賢治さんは

人生を良き方向に導いてくれるガイドでもあります。

 

そしてこのたびの花巻への旅も、

私にすばらしいものをもたらしてくれました。

 

次回に続く)

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