制作を中心とする生活にしたいという願いから
教員を辞めたのが2007年3月。
それから作品集の出版や、
4回の個展、2回のグループ展(ベニウズ展)や
師・津田季穂の展覧会等に取り組み、
結構忙しく過ごしてまいりました。
その間、多くの作品も生まれましたが、
もうひとつ「制作を中心とする生活」と
言い切れる状態ではありませんでした。
26年も続いた教員時代のクセ
― 事務的な仕事を片付けることを創作活動よりも優先してしまう
という習慣からなかなか抜けきれなかったためです。
創作活動のために退職したのに、
「思う存分絵を描いてもいいんだ」という気持ちになかなかなれず、
忙しくしていないと不安になるというような精神状態でした。
少しずつ少しずつ、時間をかけて
このような状態から抜け出そうとしてきましたが、
最後の決め手にしたいと思ったのが、
宮沢賢治さんの故郷花巻への5泊6日のスケッチ旅行でした。
宮沢賢治さんは、その童話を通して、
「人間が最も大事にすべきものとは何か」を
私に教えてくれた人です。
「僕はもう、あのさそりのように
ほんとうにみんなの幸いのためならば
僕のからだなんか、百ぺん灼いてもかまわない。」
これは、「銀河鉄道の夜」の主人公ジョバンニの言葉ですが、
「神」或いは「宇宙」というのでしょうか、
私たちをかく在らしめている根源的なものを
実際に感じていなければ生まれない言葉だと思います。
私は大学時代にそのほとんどの童話を読んで、
大きな心の支えとなりました。
また教員時代に、
童話を道徳や特別活動の教材として使わせていただいたり、
「どんぐりと山猫」の劇 (徳島県立板野養護学校板野分校にて 1991年)
私が描いた「山猫」設計図
(ますむらひろしさんのまんが「どんぐりと山猫」を参考にさせていただきました。)
童話が与えてくれたインスピレーションによっていくつかの作品も生まれました。
セロ弾きのゴーシュ 1993 つめくさのあかり 1993
風の又三郎 2003 羅須地人協会跡にて 1994
山猫の馬車別当 1995 風とゆききし雲からエネルギーをとれ 1997
セロ弾きのゴーシュ(立体作品) 2008
妻も大学で宮沢賢治さんの研究をしましたが、
1991年に共に花巻を訪れたことが
今の私の家庭が生まれるきっかけとなりました。
このように私にとって宮沢賢治さんは
人生を良き方向に導いてくれるガイドでもあります。
そしてこのたびの花巻への旅も、
私にすばらしいものをもたらしてくれました。
(次回に続く)
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